事務と経理のまなび塾 あやのはるか
会社員/日本実務能力開発協会 認定コーチ
1965年生まれ/大阪府出身
ひとことメッセージ
日々の仕事を通しての気づきや学びをシェアしたり、このサイトで情報を発信し続けることで、少しでもあなたのお役に立てることがあればとても嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。
略歴
短期・中期の派遣社員として約20社の企業様で就業し、総務・経理を中心に事務全般を経験。業務改善にも携わる。転職市場で就業社数が多いことは不利とされてきたが、多様な経験を尊重され派遣先の部長から業務改善のアドバイスを求められた経験は自信となっている。現在は小規模な一般.企業で、売上・入金関係の処理を中心に、総務業務全般に携わる。人事採用のアシスタント、オンラインの社内掲示板運用など新しいことにも挑戦。
大切にしていること(Value)
- 「もっと、より良く」と「どうすれば楽しくワクワク仕事ができるか」常に考えること。
- 制約がある環境でも、与えられた裁量の中で小さな改善進歩を目指すこと。
- 日々あらゆる角度から学び、心の引き出しを豊かに視野を広げる。
趣味(Like)
映画鑑賞、物語を書く、読書、ライブへ行く。ウォーキングしながら鳥の声を聴いたり、お花を見たり、列車に乗ってふらっと季節外れの海辺に行ったり、にゃんこと触れ合うことが癒し。野草や小さな花の観察が最近のマイブーム。大阪へ行ったときは、なんば花月でお笑いライブ・漫才を見ることを楽しみにしている。
夢(make my dreams come true)
- あやのはるかオリジナルストーリーの映画化。
- 色々な鉄道会社の列車で日本全国を旅すること。(豪華列車の旅もできればと)
- 緑が多く静かで小さな自然を身近に感じられるプチ郊外に住む
目標(Goal)
- お一人様生活を楽しみ、充実した人生を送ること
- プログラミングやデザインを楽しくまなび続けること。
- 自然と仲良くして感性を豊かにすること。
- 覚えたことを活用できるようになること。
- 会社員として働く時間を半分以下にしても生活ができること。
- いつまでも好奇心を持ち若々しい心でいること。
ホームページ
事務と経理のまなび塾(当サイト) https://jimu-manabi.online
Mystory&Lovestory(創作ストーリー) https://ayano-haruka.com/
Note(プライベートの日記と創作ストーリー) https://note.com/haruka_ayano/
名前について
私の名前、「彩典はるか」は、個人で活動をしているときの名前(ビジネスネーム)として使っています。自分の夢を実現するために2019年から創作ストーリーを書き始めていて、ペンネームとしても使っています。ときどき、コンテストに応募しています。
名前の由来について簡単にお話させてくださいね。
苗字の彩典(あやの)は、友人がつけてくれたニックネームです。「彩」という感じをあてたのは、私がもっとおしゃれを楽しめますようにとの願いを込めと友人は言っていました。
下の名前(はるか)には、二つの由来があります。
一つ目は、好きな女優さんの名前であること。この女優さんのように素敵でありたいなという想いがあります。言葉の響きも好きです。
二つ目は、以前勤めていた会社の名前から。ずっと経理の仕事の仕事に就きたくても就くことが出来なかった私。やっとそれがかなった時に、勤務することになった会社の名前が「はるか」だったからです。はじめての経験をするときのワクワク感と、初心を忘れないようにという想いも込めています。
大人になってから、ニックネームで呼ばれることが無かったので、「あやのちゃん」とか「はるかちゃん」と呼ばれると恥ずかしいけれど笑顔になれます。
あなたも学生時代からのニックネームとは別に、大人になった自分へのニックネームをご自身で考えてみませんか?
コミュニケーションやビジネスを学ぶ研修に参加すると、ディスカッション時にお互いのニックネームで呼びかけることがあります。そのときに呼びかけられて心地いい、読んでもらいたい名前を持っておくと良いですよ。
My story & history
子供のころ:自然の観察が好きで目立つのが嫌だった
うっすらとした記憶では私はとてもおしゃべりな子供だった。周りの大人から「うるさい」「口から生まれてきたみたい」などと言われていたことをぼんやりと覚えている。親の都合で、急に引っ越しをすることになり大好きだった友達と別れたことが原因で口数が極端に減り、人見知りになった。
小学生のころから植物や動物の観察が好きで、時間を忘れてスズメや咲いている花をみていた。
小中学生のころに興味を持った職業は、漫画家や作詞家、植物学者。空想・連想すること、折り紙、植物を育てることに興味を持つ。習い事はそろばんのみ。中学生のころ兄の影響でギターに興味を持つ。ある程度弾けるようになったものの、人前で披露する根性はなかった。
目立ちたくないのに、意図しないことで目立ってしまい嫌なことが多かった学生時代。学力は平均的だったが、極端な運動音痴のため体育の授業は苦痛だった。高校を卒業して一番うれしかったことは「体育から逃れられたこと」
高校卒業後の進路を大学ではなく専門学校にしたのは、大学でも体育の授業があると聞いたから。学校の勉強も好きではなく、かといって就職するのも嫌だったということもある。いい加減な気持ちで選んだ専門学校にもなじめず、アルバイトの方が楽しくなり途中からほとんど行かなくなった。
20代:自分らしさからは最も遠い時期
服飾系専門学校にてファッション全般を学ぶが、途中からほとんど通学せず、アルバイトをする以外は自宅で引きこもっていた。先生のご慈悲で卒業証書をいただき、就職専門誌で見つけた婦人服アパレルメーカーに就職して販売員を経験する。
のちに、生活雑貨の製造会社へ転職して一般事務職を経験するが、結婚で離職。
結婚前に取得した簿記3級の知識をもとに飲食店の記帳業務を手伝う。その時顧問税理士に褒められたことをきっかけに会計や経理の仕事に興味を持つ。通信教育で簿記を学びなおすが挫折。
20代は出産・子育てで手いっぱいで、仕事について考えることもなく、ただ主婦業を淡々とこなして過ぎていく。
30代:自分なりに仕事と向き合い、最も勉強した時期
簿記2級取得後、経理事務として一般企業への就職を目指す。パート採用ですら書類審査に通過できず、未経験の壁は厚くて高いと実感。面接まで行っても、子供の年齢や家庭のことばかり質問されてうんざりする。レジ係や服の補正、弁当販売などのアルバイトをしながら就職活動再開の時機をまつ。
パソコンが一般に普及し始め、ワープロとWordの違いやExcelやWindowsが何かも知らないのに、思い切ってパソコンを購入する。だがつなぎ方がわからずしばらく放置。2週間ほど過ぎたとき書店で入手したパソコン雑誌片手に、Excelやワードの使い方を学習する。
その後、監査法人の総務部へパートの経理補助として採用されるが、1年も経たないうちに事務所が閉鎖となる。この監査法人で「会計ソフト」の存在を知り、弥生会計を自費で購入、家計簿をつけることに利用して操作方法を独学でマスターする。
同時期、税理士試験の受験資格を得るためと少しでも就職に有利にという2つの理由で通信制の短期大学へ入学、フルタイムのパート社員として総務部へ勤務しながら既定の年数で卒業する。この時39歳だった。
法学を履修し税理士の受験資格は得たが、自身の適性や合格の可能性を考えて、税理士の受験は断念。
短期大学卒業後すぐにパートはやめ、就職活動をするがうまくいかず。「派遣社員として働く」という選択肢を知り、スタッフ登録、担当営業の方のアドバイスにより派遣社員として経験を積むことを選択。
すぐに経理アシスタントとして派遣就業が決まる。その時、一緒に喜んでくれた派遣会社の営業担当の方には本当に感謝している。
40代:あらゆる職場を経験することで対応力が向上
それから約15年、20社超の企業の管理部門に所属し、経理を中心とした幅広い事務全般の経験を積む。業務改善・業務フローの構築、会計ソフト(弥生会計)導入、課長補佐として3人のチームメンバーをまとめるという経験もさせていただく。
40代前半までは就職にこだわっていたが、派遣社員のメリットに目を向けるようになってからは、就職活動はやめる。
40歳後半で、建設業経理士1級、弥生会計認定インストラクター、弥生検定2級、取得。
リーマンショックと派遣の契約期間終了が重なり、長期間仕事に就けない時期を経験する。この時期は、年齢を重ねたことで30代に仕事を探していた時とは比べ物にならないくらいの不安を抱え、自分自身の存在価値を否定された気持ちだった。
乗り越えることができたのは、その時できることをコツコツ頑張ってきたことと、自分としっかり向き合ってきたことだと思う。
50代:自分を生きるという言葉の意味を実感する
学びと休養の時間をつくるため、時短・短期間での就業スタイルに切り替える。ビジネスやコーチングについて学び、多くの人と交流する中で起業という働き方があることを知るが、社会的に意義があることが何かわからなかった。また生涯の仕事として打ち込めることが見つからず、生活の不安からフルタイムでの派遣就業に戻る。
時短勤務をしている間好奇心からwebデザインを学び、Wordpressの作成代行や電子書籍の表紙づくりの手伝いをやってみる。当時クライアントさんとのやり取りはとても勉強になったが、まなび以上に疲弊してしまう。
2019年1月より、1年半派遣就業した企業にて正社員へ転換、総務全般に携わる。会計ソフトの導入、2020度より請求書作成システムの導入検討・採用。
現在の会社での課題は、制約がある中で担当業務の効率化を図ること、誰にでも理解ができ取り組みやすい業務フローの構築をすること。Accessと使ったデータ管理を実現させること。実現後は、私の仕事は外注できればいいかと思っている(会社が認めてくれれば・・だが)
2022年、何度も学習に挫折したマクロを実務に取り入れた。いまの会社で初めて書いたマクロで得られたのはたった5分の時短。とはいえ大きな感動を実感する。その後、いくつかのマクロを書き、時短とストレス軽減を実感する。プログラムとしての出来はともかく、現在の力で動くマクロを書いて活用していることに意義があると思っている。
中途採用業務にも関わらせていただく機会をいただき、人事の人の気持ちが理解できた。人を見抜くのは難しいが、面接は結局お見合いと同だと思った。
これから先、今の会社にフルで働くことはもう考えていない。
60代:健康で仕事も遊びも勉強も意欲的でいたい(近い未来)
「年齢は稼いだもの」という映画のセリフがある。この言葉を聞いた40代前半、自分が60歳まで生きているなんて想像はできなかった。なんとなく、60歳くらいまで生きたらもう人生を終えてもいいやと思っていたからだ。それなりに元気でいるいま、60歳はすぐそこにある現実だ。60歳で死にたいかといえば、いや、元気でもっと人生を続けたいと思う。
現在の会社を退職しなければ、60歳の誕生日で定年を迎える。その時に退職しなければ嘱託社員となることができるというありがたい環境。無事定年を迎えたら会社で働く時間はセーブして、好きな事に時間を使うと決めた。その時、50代よりもっと豊かな感性を持ち合わせ意欲的で元気に毎日を過ごしていたい。勉強も、仕事も、遊びも楽しみたい。
60歳になった私にしかできなこと。それを見つけて人生100年時代の後半戦の戦略を元気なうちに立てておこう。「60歳の新入社員」として、新しい場所で会社員をやっているかもしれないが(^_-)-☆
今思うこと(2023年 年末)
人生何が起こるかわからない。2023年の春にパートナーを亡くし、生きていることのありがたさを改めて感じる。嫌なことに煩わされている時間はもったいない。「好き」「楽しい」「嬉しい」を基準に、時間を使っていこう。
10年前なら喜んで引き受けた会社からのオファーも、きっぱり断った。定年までの2年間の過ごし方が、60代の人生のスタートをより良くする土台となる。 さて、何からやろうか。ひとまず、これまでなんとなく触っていた「Photoshop」というソフトの基本からの学び直しを12月下旬から始めた。3か月の講座だったが無事卒業。課題は、本当にしょっちゅう触っていないと覚えたことをすぐに忘れてしまうこと。
2024年は「移動の年」にする。2023年に2回引っ越しをしたので、転居はしばらく避けたいが、東北や北陸、九州など行ったことがないところへ列車で出かける。海辺を走る列車で朝日や夕日を見る。日本のすばらしさをたくさん見つける旅にしたい。
また、書くことにも力を入れていきたい。「note」というサービスで、ショートストーリーを投稿している。文章はそんなに上手ではないけど、今は2000文字~8000程度の作品が中心。長編の物語も3つ内容は決まっているけど完成はしていない。コントは10000字程度の作品をいくつか創作して長い物語を書くことに慣れてから、書き上げたいと思っている。
●note クリエーターページへのリンク https://note.com/haruka_ayano